M-1グランプリ2021 呟きまとめ

 

今さら過ぎますが、M-1グランプリ2021を見てて面白かったので、それを書いた呟きをここにまとめてみようと思います。自分で読み返す用ではございますが、呟きは各ツリーになっています。あくまで個人的な捉え方に過ぎませんが、読んでいただけると嬉しいです。

 

錦鯉

 

 

オズワルド

 

ランジャタイ

 

モグライダー&インディアンス

 

真空ジェシカ

 

ロングコートダディ

 

ゆにばーす

 

もも

 

THE MANZAI

 

 

「陰口引き出し王」水曜日のダウンタウン


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水曜日のダウンタウン「陰口引き出し王決定戦」を観て、面白かったので感想をいくつか呟きました。

それをまとめてみました。

(呟き自体はさらに細かい話を書いたツリーになっています。)

 

「皆を(出演者と番組側のみ)傷付ける笑い」

了承したからと言って…という理論だと、それをAV出演強要問題とかと重ね合わせる事は出来なくも無いですが。ただそれに関しては、あくまで「お笑い」というジャンルで行われる事の許容範囲だと、大衆の空気的に(つまりおそらく、SNSでの反応だけをデータとしているわけではないと思う。)は見なされているから、このぐらいの話題になり方なんだろうなと思います。

 

視聴者側に、マイノリティとして境遇に共感する要素を、省いていると思う。芸人さんに思い入れを持って見ていた場合に「可哀想」ってなったり、ちょうどお酒の席で自分の陰口を聞いてしまった人がそれを思い出したり、そういう感覚は抱くかもしれませんが、そのレベルの被害者意識とそれを引き起こさせた演出は、意地悪な視点ではあるけど、明確に「差別」では無い。数年前の水曜日のダウンタウンは「歯がない高齢男性」や「ロケ中に急に絡んでくる素人」等を、こちらに危害を加えてくるヤバい人扱いし、ホラー感覚でエンタメにしていて視聴者含め盛り上がっていましたが、そっちの方が明確に「差別」。(そういう演技のエキストラだったり、「ヤバい人」達がこの番組を見て「差別されている」と声を上げなさそうだから炎上しにくい構造だとも思います。)

 

 

仕掛け人が傷付くシステム

1番傷付いているであろう役割が仕掛け人である、とわかりやすく提示してあるから「ドッキリ企画そのものが良くない」という批判のされ方になっていないと思います。あと、その仕組みなので、仕掛け人が傷付いてないという態度を綺麗に取れれば取れるほど、炎上しにくい形になっています。竹山さんはむしろ、露悪的に振る舞う事でヘイトが集まるのを分散させていたとも捉えられる。そして、番組側はそれを構成として最初に持ってきてるから、ちょっと炎上させたがってる意図も見受けられます。

 

仕掛け人に同情したら陰口を言った方に石を投げれるし、陰口をチクられてかわいそうだと思ったのなら普段からそういう振る舞いなのであろう仕掛け人に石を投げれるし、その双方どちらにも嫌悪したのならこれを企画した番組側に石を投げれる。皆が平等に一定範囲傷付いている(視聴者も胸糞感を少なからず覚えている)これは状態として「誰も傷付いていない」にかなり近い。

 

 

永野の「あの顔」が好き

そしてそれらを踏まえると、やっぱり永野さんのあのリアクションが素晴らしかったと思います。

「あの顔」によって、ネタなのか、マジなのか、をどちらにも捉えられるように施していると思います。

 

永野さんの球種として「あの顔」よくやってる。

なんなら「殺人鬼みたいな顔付き」と、よく自虐気味にネタにしています。

 

 

今回も、その伝家の宝刀が出た って認識です。

 

 

永野さんは他の人達よりも、後輩へのダメ出しがネタ的な部分への言及になってる瞬間が、けっこうあったように思います。それと、3千円置いてくやつとかも、自分が「どう思われているか」を把握しながらも、絶妙なありえない金額。後輩に、一発屋から人気無くなってきてるって言われるんだろうな…ってちょっとわかってる感じと、さらに視聴者にも「永野かよw」みたいに思われてるのを前提で、その周囲のイメージの中で引き起こせる衝撃映像度数を上げよう、と試みているんじゃないかなと感じます。竹山さんと真逆のアプローチ。

 

個人的な印象ですが、永野さんは常にそういう「掴ませなさ」を意識して振る舞っていると思います。「カルト芸人」「一発屋芸人」「すべり芸人」「センス芸人」の間を、振り子のように何度も何度も行ったり来たり。

 

ちなみに、永野さんについて、以前呟いたものや書いたnoteです。こちらでは、もっと永野さんの芸風について考えて書いてみています。もしよかったら、こちらも。

 

 

 

 

竹山さんの「傷付きを見せないプロ意識」と

永野さんの「傷付きを煽って受けるプロ意識」とで

観た後の、胸糞感が増幅したのだと感じます。

そして、という事は…

 

 

その間に挟まれている、堤下さんと、小堀さんのリアクションが、けっこう傷付きとして深そう。

 

堤下さんは、ご認識の通りここ最近に3度目の交通事故を引き起こしていて、それも少し番組と関連付けて話題になっていましたが、個人的にはこの番組がどうこうとかではなく(ただそういう感想が上がるであろうとわかってたのに放送したのは凄い)堤下さん自体が、「いじられ芸」としてそこまでタフネスじゃないんじゃないかな?そもそも。と感じます。矢継ぎ早なツッコミは上手いと思うけど、「いじるいじられる」というプロレス的な関係構築は、我が家の杉山さんの方が、メンタルとしては出来上がっていると感じます。(それと板倉さんも、今の方向性のキャラになっていかない選択肢もあったとは思うので、これはずっと、コンビバランスの問題なんじゃないかな…と勝手ながら思っています。ネタ以外のいじられ要素も含めたタレント性みたいな部分をかなり堤下さんに依存している形態だったという露呈。)

 

小堀さんは、関西地域で局地的に高まったカリスマ性と、その脱却を東京進出的な流れに組み込めなかった事による、反動としてのクズ芸人キャラを、本人の精神的な強度含めて整えきれてないまま、ここまで来てしまったという感触があります。鈴木もぐらさんのような完成されたクズ芸人キャラでもなく、関西の楽屋裏的なニュアンスから外に出せるようなクオリティに達しているわけではないと思います。ここである種振り切れば、中山功太さんのような、逆説的なカリスマ性を生むことも出来たのかもしれませんが、いかんせん漫才という芸能との折り合いが難しく、単純に中途半端なポジションになっているから、関西以外の芸人さんに、社会人として舐められてしまっているのではないでしょうか?(そして、それを1番いじっていたしずる村上さんも、コンビとして池田さんがKAƵMA化した事によって、実は修二さんと似たような状態になっているのかな…と発言を聞いてて勝手に思いました。)

 

水曜日のダウンタウン全部台本説

 

今回の企画で、単純に拒絶感を抱いた視聴者もTLを眺めてると多かったなと思ったのですが、同時に、この番組のコンセプトを把握している人の中には「台本があると信じたい」「どうせこれもヤラセ」「そういう演出だと思って見ると笑える」「みんな信じ過ぎ」「台本だとしても気分悪い」というような感想もチラホラ見受けられました。

 

どういう風にこういう企画が作られているのかわかりませんが、見ていて何となく感じるのは、台本というより、出ている芸人さんの見られている意識に、ある程度任せているんじゃないかな?とむしろ感じます。そのセッティングまではしっかり行っているんだけど、ロンハーほど完璧に騙そうとしていないし、めちゃイケやモニタリングほどお約束的な着地を目指していない気がします。「ドッキリが成立するかのドキュメンタリー」という感じ。

 

以前、そういう観点で考えた水曜日のダウンタウン関連の呟きもあります。

 

落とし穴に落ちたのに一向にネタばらしが来ないまま日が暮れたら正気じゃいられない説

 

おぼん・こぼんTHE FINAL

 

その上で、今回は上記した呟きの内容よりも、さらに内側に小規模で、しかも確実に傷付けにいってるコンセプトなので、後味悪く感じる人が多かったのかもしれません。ただ個人的には、熱心に観ている人ほど追体験的になるものだと思うので、たぶん居酒屋とかで実際に上司の悪口を仲間内で話してるぐらいの環境で、そこに設置されている大型テレビに流れてる映像として、適当に流し見たらめちゃくちゃちょうど良い面白さだと思いました。話題になってるから、TVerで見逃し配信を探して確認する、ぐらいの温度でちゃんと見ると、凹んだりムカついたりする可能性が高くなる面白さだと思いました。

 

以上です。面白かったです。第二弾見たいです。

ニシダ発達プログラム


ニシダ更生プログラムを観て面白かったので感想をいくつか呟きました。

それをまとめてみました。

(呟き自体はさらに細かい話を書いたツリーになっています。)

 

 

面白さと「感動」とグロさ

この規模感で匿名で誰でもコメント出来てしまうという構造である事を踏まえて観れるかという事が重要だと思います。あくまで一例として、その構造でなおかつエンタメじゃなかった場合の最悪のケースを出すと「ネオむぎ茶事件」の少年が2ちゃんねるで煽られていた事など把握していると見え方も変わるかもしれません。(重ねて言いますがそれがエンタメじゃなかった場合の最悪のケースとしてです。ラランドはその構造含めてメディアに出るプロ。)

 

いじり=公開説教=吊し上げ≒マイノリティ断絶

そのあたりの事を考えてゆくと、やはりコメント欄や感想ツイートなどでチラホラ見られる「発達障害」というワードを連想する人も現れてくると思います。

 

ニシダさんがそれに該当するかは置いておいて、ただそれを連想する人がいるのはわかってたとは思います。その上でこれを企画として行ってる。というかどうすればこの企画をそのワードをある程度避けてこのぐらいの反応に留めさせて成立させるかを考えた形跡が見えます。そういう点で見るとこの企画は「環境型ハラスメント」と「障がい者差別」だと捉えられて炎上するリスクがあるギリギリの内容とも言えると思います。

 

炎上ビジネスと侮辱罪の境目

そしてそこまで視聴者の反応を意識した上で「クズ芸人」や「説教コント」の延長線上のエンタメを行おうとするから、むしろお笑い的な臭みは抜いていかざるを得なくなる。最終的にニシダさんが了承しているからこれが公開されているわけですが、お笑いとして提示していたキャラクターに対して「これはリアルだ」と捉えられて皆で石を投げてもよいというルールになった場合、その石を投げられた側はどのラインで誹謗中傷を訴えるのでしょうか?というか誹謗中傷を受けたと判断できるのでしょうか?

  

ニシダさんの周囲の人達のデジタルタトゥー意識

サーヤさん、山里さん、そして意識としてはおそらくもうほとんどタレントと変わらない佐久間さんを除いた周囲のスタッフさん達はこれを動画に残す事の認識ってどれぐらい持たれているのか、ニシダさんへの評価も含めてそれはもちろん個々人でバラつきがあるように感じました。どう見られたいかは人それぞれですし、それこそホームレス排除アートの作者はそのアートの実用性以外にもメッセージを込めて(メッセージが無いメッセージである事も含めて)いると思います。さらに言えばホームレスがそのアートを見た時にどう感じるのかも包括した上で自由です。
 

 

結論、サーヤすげぇ

 

ピン糞のアカウント消すタイミング含めて惚れ惚れしました。


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上島竜兵と話術


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ダチョウ倶楽部上島竜兵さんの訃報を受けて、いち視聴者でしかありませんが前々から感じていた事を言語化したいなと思いこういった呟きを連投しました。あくまで個人の勝手な捉え方でしかありません。それをまとめてみました。

 

 

出川哲朗との違い

裏笑いのど真ん中にいるのが上島竜兵ではないでしょうか。単純に理解しようとしたら「すべり笑い」という認識にまずはなると思います。

 

ダチョウ倶楽部自体が「裏笑い」を持ちネタにしているトリオだと思います。それを反復させて表側に形式を浸透させてる。それらを「伝統芸」ってみんなで呼んでること自体が「これのどこが伝統芸なんだよw」って視点。出発点としては「裏笑い」。

 

上島さんは「オチの一言」を球種としてけっこう持ってる人だったと思います。それが上手くハメれなかったりしてからさらにもう一言発動するという「二段構え」になってる事が多かった記憶です。

 

 

有吉さんは自身のラジオ番組で「出川さんはスタントマンのリアクション、上島さんはコメディアンのリアクション」と言っていました。ここら辺に両者の違いはあって、さらに上島さんはコメディアンの中でも喜劇役者とかより落語家や漫談家や寄席芸人っぽい雰囲気も持ち合わせていたと個人的には感じます。

 

 

笑福亭鶴瓶との類似点

「いじられ話法」ってのがあると思うんですね。

 

出川さんは上記した通り噛んだり間違えたり慌てたり上手く出来なくて照れたりする事を周囲が「天然」扱いしてオチるわけですが、狩野英孝さんの場合はもう少し「天然と計算の半々くらい」で顔とか所作だけキマってるって感じ。これは山崎邦正とか安田大サーカスのクロちゃんとかに近いと思います。よく見るとナイナイ岡村さんとかもいじられた時はそんな感じ。テレビ番組の中でのキャラクターの立ち振舞いに終始するイメージ。タレント性とも呼べる。それらと比べると上島さんや鶴瓶さんはもっと「裏笑い」のリアクションをしてますよね。泣きそうになったりちょっと本気でキレたり、テレビタレントの規定範囲から少しはみ出てる。

 

ちなみにハライチ澤部さんはそれらを踏まえた上で「間を埋める」ってことに出力してどの役割も全方位的にやってるって感じだと思います。これはバナナマン日村さんとかハリセンボン春菜さんとか関東コント師に多いタイプだと思う。

 

この役割って企画意図を汲み取ってどれくらいはみ出ないかの匙加減がけっこう難しいと思うんです。芸人さんのタイプによってどれくらい「言及」するのかが変わるから。上島さんと有吉さんは演じてるコントの「範囲」が同じくらいなんです。ストレッチーズ福島さんに注意を促すとことか、インスタントジョンソンすぎさんへの詰め方とか、よく見ると上島さんは「いじられてるフォームでいじってる視点」もある。

 

これは脱力タイムズのような全部完璧にコントとして進んでゆく構造だと成立しないやり取りだと思います。あれはいじられの演じきりだから出川哲朗とかの方が向いてる設計。

 

 

 

いじられる側としての東野幸治

ドランクドラゴン鈴木さんとかも近いものを感じる。あとさらに何周かしてるとも思うけどアルコ&ピース平子さんも。「いじられ話法」自体がバラエティ番組に出た時の話術という芸の応用だから、そのテイストのまま「いじり話法」に変換出来てしまえる。東野幸治は「ひどい事をされても淡々としてる」的ないじられ方のままそれを「人が遠慮するような事をズケズケ言う」といういじり方にまで持ってゆけてる。

 

 

 

 

いじられる側として上記した人だと狩野英孝山崎邦正、クロちゃん、岡村さんとかが紳助さんと近い領域。

 

 

さんまさんは出川さんと一緒の演じきり。もうほとんど「いじられ芸」はしないけど昔の27時間テレビビートたけしに車ぶっ壊されるやつとかはリアクション芸の演じきりですよね。

 

ジモンさんへのこのツッコミは典型的な「いじられてるフォームでいじってる視点」ですよね。さらに言えばジモンさんの振る舞いもそれを誘発させることを見込んでもいると思う。

 

肥後とジモンの話術

もう少し他のメンバーも掘り下げると肥後さんの話し方もあの沖縄訛りの雰囲気に誤魔化されてるところがありますが骨組みがしっかりしてると思う。この動画のおぎやはぎと比較するとわかりやすいと思うんですが緩い空気感を醸し出しつつもオチがちゃんとある。

 

肥後さんも上島さん的な「いじられてるフォームでいじってる」骨組みをしているのですがキャラクター的にそれを強く打ち出してないしトリオ内での役割として上島さんをリアクションさせる側なのでこういう仕上がりになってるんだと思います。引き立て役。肥後さんの特筆すべきは竜兵会の中に入ってもあの感じで居続けられてる所だと思います。上島さんを引き立てつつ後輩にはいじられてる。

 

あと竜兵会で言えば土田晃之さんの存在がかなり重要で、なんならバラエティ番組に出てる時の中心点は土田さんなんだと感じます。土田さんだけ「裏笑い」になってない。むしろ土田さんは一人だけ明石家さんま的な「キャラ芸」をしてる。

 

ちょっとややこしいんですが、土田さんは「上島さんはトークが下手」といういじりをしてるけどそのパターン自体が土田さんの演じきりになってて最終的に上島さんが「何を言って締めるか」がオチになるようにパスをしてる。なので実はトークという言葉を話術に置き換えるとむしろパターン芸になってるのは土田さんの方で上島さんの喋りに体重が掛かってるやり方だと思います。宮迫さんも司会で誰かをいじる時これ。竜兵会のオールナイトニッポンでも「指」の返しを裏笑い的に繰り返す上島さんに土田さんがパターンツッコミをしている形状。「トークが下手」いじり自体は世代によって話し運びの形態が大きく変わるから生じる感覚なのだと思います。YouTuberの喋りに慣れてる視聴者は土田さんの得意とするような「すべらない話」の長さをトークが下手だと感じると思います。

 

なのでバラエティ番組に出た時の竜兵会は土田さんをセーフティネットとしてその上で有吉さんを主力とした掛け合いを上島さんに皆でパスを出して決めさせるフォーメーションが多く見られました。

 

そしてジモンさんですが、ジモンさんは3人の中で一番「間を埋める」意識が強いと思います。先程上げたハライチ澤部とかバナナマン日村のような音楽的な喋りにあともう少しで到達しそう。バカリズムの早口喋りみたいなものに近い。ただダチョウ倶楽部の中に属してるから形状としては構成や展開、裏笑い的なエッセンスの方が多く含まれててオチ的なものや持ってゆきたい方向性は用意されてるのを感じる。

 

実際ジモンさんのトリオ内での役割ってけっこう難しいところだとも感じます。他のメンバーがいじられや小ボケを担ってしまってて通常のトリオならジモンさんのポジションに当たる役割が空洞化してると思います。ネプチューンで言えば泰三さんや東京03で言えば豊本さんの仕事を上島さんや肥後さんがやってる。これはダチョウ倶楽部が裏笑いをメインとしてるため形式的な大ボケを作る必要があまり無くなっていったからだと思います。故ナンシー関さんは「ダチョウという集合体がボケとなってる」と言い表しました。そしてその反動で空洞化しているポジションのジモンさんが存在として大ボケ化していったのだと感じます。

 

ジモンさんの喋りはそれ単体で見ると一番「一人喋り」として完成してるとも言えます。ただバラエティ番組の中での「絡み」となるとそれが重たくなってるしトリオ芸の中でもクドくなってる瞬間があります。しかしそれによってダチョウ倶楽部のハプニング感みたいなものは保たれてるとも感じます。そしてそれに関してはジモンさんは意識しているとも思います。そういう意味では有吉さんの上島さんに対する雑いじりみたいな手法でもあると思う。ダチョウ倶楽部内ではそのきっかけ的なもののみジモンさんが取り扱ってる領域はあったと感じます。

 

話がいろいろ散らかりましたが、上島竜兵さんにはそういった芸を感じていました。トリオ芸で、リアクション芸で、「話術」というものを駆使していた上島竜兵という芸人さんはとてもテクニカルで面白かったなぁと思っています。