M-1グランプリ2021 呟きまとめ
今さら過ぎますが、M-1グランプリ2021を見てて面白かったので、それを書いた呟きをここにまとめてみようと思います。自分で読み返す用ではございますが、呟きは各ツリーになっています。あくまで個人的な捉え方に過ぎませんが、読んでいただけると嬉しいです。
錦鯉
錦鯉のM-1優勝から捉える「多様性」に置ける現時点での日本的な解釈#M1グランプリ #錦鯉 https://t.co/AB4Zgxo5KX
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月21日
オズワルド
オズワルド準優勝から考える「脱力系漫才」の分類と個々人の技術的な気質#M1グランプリ #オズワルド #おぎやはぎhttps://t.co/e6TTHcGx9O
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月26日
ランジャタイ
ランジャタイの芸風とそれを取り巻く受け手の反応そのもののイリュージョン性#M1グランプリ #ランジャタイ #たまhttps://t.co/BIxJ91SF7S
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月26日
モグライダー&インディアンス
モグライダーとインディアンスを比較する事で見えてくる漫才に置ける演技とアドリブの思想上の立場。#M1グランプリ #モグライダー #インディアンス #アンタッチャブル #品川庄司 #田村淳https://t.co/0YaZRwdfjI
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月26日
真空ジェシカの「漫才における羅列されるボケの精度」とそれに伴う批評そのものを脱構築させている手腕#M1グランプリ #真空ジェシカ #ランジャタイ #ナイツ #とろサーモン #ますだおかだ https://t.co/TBy0LKESD1
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月29日
「ロングコートダディが静かに遂行させていた「漫才なのか漫才じゃないか論争」の次段階への領域展開」#ロングコートダディ #M1グランプリ https://t.co/o7z0P0pHlg
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年1月8日
ゆにばーす
「ゆにばーすが披露した偏見の提示で炎上を避ける大胆な手法と前提共有からなる全人類の万物性」#M1 #M1グランプリ #ゆにばーす #はら #川瀬名人 #南海キャンデーズ #相席スタート #メイプル超合金 #WinWinWiiin #電波少年 https://t.co/XUgzTyrP6P
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年1月20日
もも
ももが行った「サンプリング大喜利のベタ化」で漫才システムを更新させてるデータベース前提共有世代の顔見せ#M1グランプリ #もも #真空ジェシカ #霜降り明星 #ダウンタウン https://t.co/PI8rjWAvta
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年2月5日
「THE MANZAI2021」を観ての多様性に対する漫才師の現地点での解釈と昇華 #THEMANZAI #おぎやはぎ #爆笑問題 #ナイツ #ウーマンラッシュアワー #とろサーモン #ランジャタイ https://t.co/NUckSnNjQV
— 視力 (@shi_ryoku) 2021年12月5日
「陰口引き出し王」水曜日のダウンタウン
水曜日のダウンタウン「陰口引き出し王決定戦」を観て、面白かったので感想をいくつか呟きました。
それをまとめてみました。
(呟き自体はさらに細かい話を書いたツリーになっています。)
傷付いたのは仕掛人(永野、堤下)
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
好感度下がったのは陰口言った側(しんいち)
批判されたのは番組(藤井健太郎P)
プレゼンターやコメンテーターは同情的な感想(松本人志、マヂラブ)
これは「誰も(視聴者を)傷付けない笑い」としてかなりレベルが高い見世物だと思う。#水曜日のダウンタウン
「皆を(出演者と番組側のみ)傷付ける笑い」
「ニシダ更生プログラム」とか「みりちゃむに罵倒される大喜利」とかは傷付いている対象に付属する要素がマイノリティ的な成分を持っててそれに該当する人が共感性ストレスみたいなものを感じる割合が高いと思う。水ダウの「陰口」はその該当が広いから「皆まんべんなく不快」程度に留まっている。
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
藤井健太郎さんは「発達障がい」とか「おじさん芸人」とか対象をジャンル断定していなくて芸人さん個人(しかも傷付ける側も傷付けられる側も双方普段の関係の延長線上)に限定している。そして芸人さんはこの企画にお金貰ってて了承してるんです。(だからと言って倫理的には問題無いわけじゃないけど)
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
了承したからと言って…という理論だと、それをAV出演強要問題とかと重ね合わせる事は出来なくも無いですが。ただそれに関しては、あくまで「お笑い」というジャンルで行われる事の許容範囲だと、大衆の空気的に(つまりおそらく、SNSでの反応だけをデータとしているわけではないと思う。)は見なされているから、このぐらいの話題になり方なんだろうなと思います。
例えばザ・マミィのKOCのおじさんコントとかって対象をジャンル断定した上で「一般的(とされてる)偏見を持ち込まない」みたいなアプローチをしてて面白いと評価されてる。これってひねくれた見方をすれば「対象を利用してる」とも捉えられちゃう。「マイノリティいじり」ではある。気付きにくいけど。
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
に対して今回の水ダウは「陰口を言われているかもしれない自分」だからかなりその限定濃度は薄い。芸人さんの内側にほぼ終止してる。いわば「自虐」。なおかつ賛否両論の炎上話題っぽい狙いがあるだろうから構造としては「すべり芸」っぽい形。しかも「身体」的な痛みじゃないから子供が真似しにくい。
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
視聴者側に、マイノリティとして境遇に共感する要素を、省いていると思う。芸人さんに思い入れを持って見ていた場合に「可哀想」ってなったり、ちょうどお酒の席で自分の陰口を聞いてしまった人がそれを思い出したり、そういう感覚は抱くかもしれませんが、そのレベルの被害者意識とそれを引き起こさせた演出は、意地悪な視点ではあるけど、明確に「差別」では無い。数年前の水曜日のダウンタウンは「歯がない高齢男性」や「ロケ中に急に絡んでくる素人」等を、こちらに危害を加えてくるヤバい人扱いし、ホラー感覚でエンタメにしていて視聴者含め盛り上がっていましたが、そっちの方が明確に「差別」。(そういう演技のエキストラだったり、「ヤバい人」達がこの番組を見て「差別されている」と声を上げなさそうだから炎上しにくい構造だとも思います。)
あとやっぱりロンハーの恋愛ドッキリとかと違って「仕掛人が傷付く」って仕組みが改めてすごい。
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
仕掛け人が傷付くシステム
だから竹山さんみたいな「仕掛け人としてのメンタリティ(普段からパワハラっぽい事してるんだろうなというキャラも含めて)をちゃんと演じきってる」方が可哀想って反応になってない。VTR順が永野さんじゃなくて竹山さん終わりだったらこんなに拒否感強い反応にならなかったんだと思います。
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
1番傷付いているであろう役割が仕掛け人である、とわかりやすく提示してあるから「ドッキリ企画そのものが良くない」という批判のされ方になっていないと思います。あと、その仕組みなので、仕掛け人が傷付いてないという態度を綺麗に取れれば取れるほど、炎上しにくい形になっています。竹山さんはむしろ、露悪的に振る舞う事でヘイトが集まるのを分散させていたとも捉えられる。そして、番組側はそれを構成として最初に持ってきてるから、ちょっと炎上させたがってる意図も見受けられます。
どの出演者に共感してもちゃんと石を投げれる対象が存在してる安心感(陰口そのものに強い抵抗感があった繊細さんは松本人志やマヂラブのコメントで目線を承認されてる)。視聴者が傷付かないような意識が相当丁寧。逆を言えばそうじゃない番組の方が多いと思っちゃったのは何かへの陰口になりますかね?
— 視力 (@shi_ryoku) July 2, 2022
仕掛け人に同情したら陰口を言った方に石を投げれるし、陰口をチクられてかわいそうだと思ったのなら普段からそういう振る舞いなのであろう仕掛け人に石を投げれるし、その双方どちらにも嫌悪したのならこれを企画した番組側に石を投げれる。皆が平等に一定範囲傷付いている(視聴者も胸糞感を少なからず覚えている)これは状態として「誰も傷付いていない」にかなり近い。
永野の「あの顔」が好き
永野さんって「核心を突く側面」と「核心を突かれる側面」をキャラクターとして綺麗に同居させてるのが面白過ぎると思う。しかも昔からあのスタイル。「散々偏見や悪態で笑いを取ってるけどいざ自分が言われるとあの顔でああいうリアクションを取る芸人」というタイトルのコントをずっとやってる。
— 視力 (@shi_ryoku) June 30, 2022
そしてそれらを踏まえると、やっぱり永野さんのあのリアクションが素晴らしかったと思います。
「あの顔」によって、ネタなのか、マジなのか、をどちらにも捉えられるように施していると思います。
今回の水曜日のダウンタウン陰口企画も他の人達と比べてドッキリ前からかなり丁寧にゴール設定を設けて喋ってる(VTRの順番とか事前に知らされてるのかもしれませんが)。無粋な見方だけど「あの顔」するってある程度見定めて挑んでる(と思う)。で、それがむしろ一周回って番組批評の面白さにも取れる。
— 視力 (@shi_ryoku) June 30, 2022
あと永野さんの提示してる「ニュアンス」の面白さってやはり伝わる人と伝わらない人がけっこう別れるからラッセンにしろクワバタオハラにしろスパイダーマンにしろ永野さんは絶妙なバランスで「いじってる」わけですがその観点だと今回の「水曜日のダウンタウン」は永野さんに「いじられた」とも思う。
— 視力 (@shi_ryoku) June 30, 2022
逆を言えば水曜日のダウンタウンやとんねるず、東野幸治とかが提示している「裏笑い」的なポイントってテレビという大衆的な地点で披露される臨界点にも感じる。永野さんが提示してる「どっちにも捉えられる」というニュアンスの面白さはその核心部分よりもパフォーマンス的な要素が問われてくる感触。
— 視力 (@shi_ryoku) June 30, 2022
永野さんの球種として「あの顔」よくやってる。
なんなら「殺人鬼みたいな顔付き」と、よく自虐気味にネタにしています。
芸人リポーターVS永野。永野の勝利?(笑) #マルコポロリ pic.twitter.com/V16LtTMzFf
— ぐっさん (@karaage_m16) 2016年3月27日
そして、お声かけの際「こんな状況ですが…」とか「こんな時代ですが…」と言うたびに、永野を思い出して笑いを堪えてます。 pic.twitter.com/LtEK0GZpWv
— カメイ珈琲店 (@kameicoffee) 2021年8月21日
今回も、その伝家の宝刀が出た って認識です。
そこまで計算して行ってるリアクションかと言われるとそうではないとも思うけど、ちょっとズラしてる(しかもリアリティ寄りに)とは感じるし実際永野さんが微量にコント演技入れて事件性のあるオチにした事よってナイツ辺りがラジオで話題として触れやすくなったんじゃないかなと思う。個人の感想です。
— 視力 (@shi_ryoku) July 1, 2022
永野さんは他の人達よりも、後輩へのダメ出しがネタ的な部分への言及になってる瞬間が、けっこうあったように思います。それと、3千円置いてくやつとかも、自分が「どう思われているか」を把握しながらも、絶妙なありえない金額。後輩に、一発屋から人気無くなってきてるって言われるんだろうな…ってちょっとわかってる感じと、さらに視聴者にも「永野かよw」みたいに思われてるのを前提で、その周囲のイメージの中で引き起こせる衝撃映像度数を上げよう、と試みているんじゃないかなと感じます。竹山さんと真逆のアプローチ。
個人的な印象ですが、永野さんは常にそういう「掴ませなさ」を意識して振る舞っていると思います。「カルト芸人」「一発屋芸人」「すべり芸人」「センス芸人」の間を、振り子のように何度も何度も行ったり来たり。
ちなみに、永野さんについて、以前呟いたものや書いたnoteです。こちらでは、もっと永野さんの芸風について考えて書いてみています。もしよかったら、こちらも。
マヂカルラブリーno寄席での永野のアニメ発言から考える地下芸人というラベリングとメディアの交差点#マヂカルラブリーno寄席#マヂカルラブリー #永野 #ランジャタイhttps://t.co/gPuMnUx2tB
— 視力 (@shi_ryoku) January 3, 2022
竹山さんの「傷付きを見せないプロ意識」と
永野さんの「傷付きを煽って受けるプロ意識」とで
観た後の、胸糞感が増幅したのだと感じます。
そして、という事は…
あくまでいち視聴者の穿った見方なだけですが。それと他の仕掛人の反応も付け加えると堤下さんは一番普通に精神的な痛みを伴うリアクションになってて小堀さんはクズ芸人規定範囲でのいじられ方(ただ実はここが一番実社会で引き起こったらキツイ構造。うっすらずっとナメられてる)だったと感じました。
— 視力 (@shi_ryoku) July 1, 2022
その間に挟まれている、堤下さんと、小堀さんのリアクションが、けっこう傷付きとして深そう。
堤下さんは、ご認識の通りここ最近に3度目の交通事故を引き起こしていて、それも少し番組と関連付けて話題になっていましたが、個人的にはこの番組がどうこうとかではなく(ただそういう感想が上がるであろうとわかってたのに放送したのは凄い)堤下さん自体が、「いじられ芸」としてそこまでタフネスじゃないんじゃないかな?そもそも。と感じます。矢継ぎ早なツッコミは上手いと思うけど、「いじるいじられる」というプロレス的な関係構築は、我が家の杉山さんの方が、メンタルとしては出来上がっていると感じます。(それと板倉さんも、今の方向性のキャラになっていかない選択肢もあったとは思うので、これはずっと、コンビバランスの問題なんじゃないかな…と勝手ながら思っています。ネタ以外のいじられ要素も含めたタレント性みたいな部分をかなり堤下さんに依存している形態だったという露呈。)
小堀さんは、関西地域で局地的に高まったカリスマ性と、その脱却を東京進出的な流れに組み込めなかった事による、反動としてのクズ芸人キャラを、本人の精神的な強度含めて整えきれてないまま、ここまで来てしまったという感触があります。鈴木もぐらさんのような完成されたクズ芸人キャラでもなく、関西の楽屋裏的なニュアンスから外に出せるようなクオリティに達しているわけではないと思います。ここである種振り切れば、中山功太さんのような、逆説的なカリスマ性を生むことも出来たのかもしれませんが、いかんせん漫才という芸能との折り合いが難しく、単純に中途半端なポジションになっているから、関西以外の芸人さんに、社会人として舐められてしまっているのではないでしょうか?(そして、それを1番いじっていたしずる村上さんも、コンビとして池田さんがKAƵMA化した事によって、実は修二さんと似たような状態になっているのかな…と発言を聞いてて勝手に思いました。)
水曜日のダウンタウン全部台本説
今回の企画で、単純に拒絶感を抱いた視聴者もTLを眺めてると多かったなと思ったのですが、同時に、この番組のコンセプトを把握している人の中には「台本があると信じたい」「どうせこれもヤラセ」「そういう演出だと思って見ると笑える」「みんな信じ過ぎ」「台本だとしても気分悪い」というような感想もチラホラ見受けられました。
どういう風にこういう企画が作られているのかわかりませんが、見ていて何となく感じるのは、台本というより、出ている芸人さんの見られている意識に、ある程度任せているんじゃないかな?とむしろ感じます。そのセッティングまではしっかり行っているんだけど、ロンハーほど完璧に騙そうとしていないし、めちゃイケやモニタリングほどお約束的な着地を目指していない気がします。「ドッキリが成立するかのドキュメンタリー」という感じ。
以前、そういう観点で考えた水曜日のダウンタウン関連の呟きもあります。
落とし穴に落ちたのに一向にネタばらしが来ないまま日が暮れたら正気じゃいられない説
水曜日のダウンタウンの「落とし穴」企画を観ました。面白かったです。そしてヤラセとは何か考えさせられました。ヤラセと演出の違い、お笑いと倫理の境界という点もTLを見ていると論じられてると思うのですが個人的にはヤラセと面白さの線引きが気になりました。バラエティ自意識とでも言えるような。
— 視力 (@shi_ryoku) November 28, 2021
おぼん・こぼんTHE FINAL
おぼんこぼんという「額縁芸」と
— 視力 (@shi_ryoku) October 10, 2021
水曜日のダウンタウンという「座敷芸」https://t.co/whhQvnm5yg
その上で、今回は上記した呟きの内容よりも、さらに内側に小規模で、しかも確実に傷付けにいってるコンセプトなので、後味悪く感じる人が多かったのかもしれません。ただ個人的には、熱心に観ている人ほど追体験的になるものだと思うので、たぶん居酒屋とかで実際に上司の悪口を仲間内で話してるぐらいの環境で、そこに設置されている大型テレビに流れてる映像として、適当に流し見たらめちゃくちゃちょうど良い面白さだと思いました。話題になってるから、TVerで見逃し配信を探して確認する、ぐらいの温度でちゃんと見ると、凹んだりムカついたりする可能性が高くなる面白さだと思いました。
以上です。面白かったです。第二弾見たいです。
ニシダ発達プログラム
ニシダ更生プログラムを観て面白かったので感想をいくつか呟きました。
それをまとめてみました。
(呟き自体はさらに細かい話を書いたツリーになっています。)
面白かったです。ゾクゾクしました。
— 視力 (@shi_ryoku) June 18, 2022
ニシダさんは「クズ」じゃなくて、
本質的には「ひきこもり」。#ニシダ更正プログラムhttps://t.co/JleNyE0Yon
面白さと「感動」とグロさ
この(僕の呟きも含めて)批評に晒されてる個人の社会的自我がいわゆる芸人さんとしての一般許容をゆうに越えてる感触があって、普通に発達障害者の社会人ドキュメンタリーのような領域に食い込んでるコンテンツなのに「応援」されちゃって逆に磔の刑になってて面白い。ナダルさんへのいじりとかと違う。
— 視力 (@shi_ryoku) June 18, 2022
この規模感で匿名で誰でもコメント出来てしまうという構造である事を踏まえて観れるかという事が重要だと思います。あくまで一例として、その構造でなおかつエンタメじゃなかった場合の最悪のケースを出すと「ネオむぎ茶事件」の少年が2ちゃんねるで煽られていた事など把握していると見え方も変わるかもしれません。(重ねて言いますがそれがエンタメじゃなかった場合の最悪のケースとしてです。ラランドはその構造含めてメディアに出るプロ。)
いじり=公開説教=吊し上げ≒マイノリティ断絶
そのあたりの事を考えてゆくと、やはりコメント欄や感想ツイートなどでチラホラ見られる「発達障害」というワードを連想する人も現れてくると思います。
サーヤさんに共感してしまう僕はこれを思い出しました。聞いてほしい。#ニシダ更生プログラムhttps://t.co/tcyl5LmT75
— 視力 (@shi_ryoku) June 19, 2022
バナナマン設楽さんがラジオとかボッドキャストで日村さんや児嶋さんに向けてやってた説教芸をもっと大規模でサーヤさんはやってる。見る角度に寄るけど表に出して「感動」方向に仕上がっちゃってる。自分がサーヤさんだったとしたら今凄い高揚感だと思う。トゥルーマンショー好きなのも納得しちゃう。
— 視力 (@shi_ryoku) June 19, 2022
ニシダさんだけじゃくて全てのいじられ芸人的なポジションって「努力」してない訳じゃなくて、「我慢」が「努力」になっちゃう精神構造なんじゃないかな。いじられに抵抗しない事が「努力」でもあるから。なので「努力」=「我慢」=「抵抗しない」=「努力しない」になってる。#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 19, 2022
こういう事って今日本のいたる所で起きてるバッティング現象なんじゃないかなと感じるんです。明らかにコミュニケーション能力や社会性の求められる水準が上がっちゃっててその全体の連携が組織そのものの評価へと繋がってく。そのためこういうタイプの人が槍玉に上げられる事でチームがまとまってく。
— 視力 (@shi_ryoku) June 19, 2022
ニシダさんがそれに該当するかは置いておいて、ただそれを連想する人がいるのはわかってたとは思います。その上でこれを企画として行ってる。というかどうすればこの企画をそのワードをある程度避けてこのぐらいの反応に留めさせて成立させるかを考えた形跡が見えます。そういう点で見るとこの企画は「環境型ハラスメント」と「障がい者差別」だと捉えられて炎上するリスクがあるギリギリの内容とも言えると思います。
炎上ビジネスと侮辱罪の境目
あくまで勝手な捉え方かつ不謹慎なのかもしれなくて凄く言い方が難しいのですが、この種類のエンタメ構造ってテラスハウスの女子プロレスラーさんへの誹謗中傷問題と構造が近くなっちゃってるんじゃないかな…#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 20, 2022
僕が一番痺れたのはサーヤさんが山里さんに「言わないでください」って釘指したとこ。凄い。山里さんも追い詰めてる。#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 20, 2022
あと、YouTubeでやる芸人ダメ出し企画として我が家チャンネルと比較しても興味深いかも。めちゃイケのプロデューサー片岡飛鳥がYouTube進出として手掛けた。これ構成が今回のと逆ですよね。むしろ岩井さんのガチ感を主軸にしたのが今回のニシダさんの。https://t.co/KEMElzaeZq#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 20, 2022
サーヤ(♂️)でラランドが男性同士のコンビだった場合、ニシダ擁護論がもっと強まってサーヤさんに矛先が向きそう。オードリー若林さんが「最近周囲の反応が変わってきた。昔みたいに春日に ぶっ殺すぞ って言えなくなった」とトークしてたのを思い出しました。 https://t.co/hiiutf6idl
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
そしてそこまで視聴者の反応を意識した上で「クズ芸人」や「説教コント」の延長線上のエンタメを行おうとするから、むしろお笑い的な臭みは抜いていかざるを得なくなる。最終的にニシダさんが了承しているからこれが公開されているわけですが、お笑いとして提示していたキャラクターに対して「これはリアルだ」と捉えられて皆で石を投げてもよいというルールになった場合、その石を投げられた側はどのラインで誹謗中傷を訴えるのでしょうか?というか誹謗中傷を受けたと判断できるのでしょうか?
ニシダさんの周囲の人達のデジタルタトゥー意識
愛がある(と捉えれる)からタチが悪いんだと思う。で、タチが悪いからめちゃくちゃ面白い。YouTubeのギャラクシー賞みたいなのがあったら取ってほしい。#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
個人的にニシダさんってツッコミが上手いとはあんまり感じてなくて(完全なる素人感覚です)ニシダさんは進行(回しではなくて進行)気質の人なんじゃないかなと思います。爆笑問題田中さんみたいな。たぶんマイペースな性格が土台で、そこに「虚勢」が加わってそれが「ツッコミ上手い」って解釈されてる。
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
ホームレスの排除アートみたいな面白さだと思いました。倫理的にはめちゃくちゃ問題ある(ニシダさんと同じ境遇で発達障がい認定された人が見たらしんどいと思う)けど、同時に感動もするし一周回ってお笑いとしても見れる。事務所としては実用性もある。作品として見たら美しい。#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
たぶん、それだともっとバラエティっぽくテレビっぽくなって「発達障がいを笑うな」って感想が色濃くなって炎上リスク上がるかもです(なので佐久間さんはこっちに舵切ってる)そういうワードが出るのは折り込み済みだからYouTube視聴者層的に「感動」ツイートが多くなるようにしてるんじゃないですかね
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
サーヤさん、山里さん、そして意識としてはおそらくもうほとんどタレントと変わらない佐久間さんを除いた周囲のスタッフさん達はこれを動画に残す事の認識ってどれぐらい持たれているのか、ニシダさんへの評価も含めてそれはもちろん個々人でバラつきがあるように感じました。どう見られたいかは人それぞれですし、それこそホームレス排除アートの作者はそのアートの実用性以外にもメッセージを込めて(メッセージが無いメッセージである事も含めて)いると思います。さらに言えばホームレスがそのアートを見た時にどう感じるのかも包括した上で自由です。
結論、サーヤすげぇ
「いじめ」と「いじり」
— 視力 (@shi_ryoku) June 25, 2022
「差別」と「お笑い」の境目は曖昧。
「身体を張ったエンタメ」が物理的なハラスメントだと長い年月をかけて浸透しそれを糾弾しても良いという土壌が固まったんだとしたら、「精神を張ったエンタメ」の構造を合法化するロジックが反動で先鋭化してると感じたりします。
僕はサーヤさんがトゥルーマンショーのクリストフに見えました。#ニシダ更生プログラム
— 視力 (@shi_ryoku) June 20, 2022
ピン糞のアカウント消すタイミング含めて惚れ惚れしました。
むしろ
— 視力 (@shi_ryoku) June 21, 2022
「みんなの心にはサーヤがいる」
と思う。#ニシダ更生プログラム
上島竜兵と話術
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの訃報を受けて、いち視聴者でしかありませんが前々から感じていた事を言語化したいなと思いこういった呟きを連投しました。あくまで個人の勝手な捉え方でしかありません。それをまとめてみました。
僕が思う上島竜兵さんの面白さを記してみようと思います。上島さん、というかダチョウ倶楽部はリアクション芸というものの代名詞的存在となっていますが、その中核は「裏笑い」という要素が多く占められてると思う。文脈性が実は高い。出川哲朗さんと一緒に括られてるけどそこが明確に違うと思います。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
出川哲朗との違い
出川さんは舞台役者なのだと感じる。リアクション芸というものを素の誇張だとするならばその自意識体幹みたいなものがしっかりしてて身体に滲ませてる。一人で視線を集めきってる。そういうスター性がある。そこと比較すると上島さんはやはりトリオだからなのか役割りとしての受け身技術が高いと思う。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
上島さんのリアクションは「間違ってる」事も含めてオチとして機能する瞬間があるんです。出川さんはそうならない。なったとしても「天然」的な処理を周りがする。上島さんはその間違いを観客含めて「スベってる」扱いをしそこからの涙目発動みたいな流れが生まれてそれを面白さとしてる。団体芸。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
裏笑いのど真ん中にいるのが上島竜兵ではないでしょうか。単純に理解しようとしたら「すべり笑い」という認識にまずはなると思います。
それって構成の面白さだと思う。もっと言えばリアクション芸的なものそれ自体がテレビバラエティの歴史の中で「プロの作り物」から「素人参加型のドキュメンタリー性」みたいな面白さに変容してゆく過程で育まれたものだとも思うのでその大きな流れの終着点の一種類としてダチョウ倶楽部は存在してる。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
構成をさらに俯瞰してる構造の領域。リアクション芸ってドッキリとか体を張る事によって出てくる素の反応を笑うという着眼点が原始的な面白さだから、それを「芸」とするのは実は論理的には無理がある。それをやりながら「型」として演じきるのが出川さんで「外側」から言及してるのがダチョウ倶楽部。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
ダチョウ倶楽部のギャグ「聞いてないよ~」「カットしないでね」「訴えてやる」とか一時期アメトーークとかでやってたリアクション芸を解説するダチョウスコープとかも全部外側からの言及。「くるりんぱ」も「キス芸」も「床蹴って飛び上がる」のもパターンを発動させることそのもの面白さが強い。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
ダチョウ倶楽部自体が「裏笑い」を持ちネタにしているトリオだと思います。それを反復させて表側に形式を浸透させてる。それらを「伝統芸」ってみんなで呼んでること自体が「これのどこが伝統芸なんだよw」って視点。出発点としては「裏笑い」。
出川さんの「ヤバいよヤバいよ」「切れたナイフ」とかは本人の発言をキャラ化させてるものだから明石家さんまの引き笑いとかアンタッチャブルザキヤマの「くる~」とかみたいなもの。「型」の演じきり。上島さんはキャラに微妙になりきらないところに面白さがあってそれを維持する技術があったと思う。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
なので個人的に上島竜兵という芸人は「話術」の人だったと思っています。「芸が無いように見せる」のが上手かったし、またその面白さを伝える手段が「言葉」に比重が多かったと思う。若手に相談されてるのに「おれはこれからどうすればいいんだ」とか面白過ぎる。いわゆる「しゃべくり」ではないけど。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
上島さんは「オチの一言」を球種としてけっこう持ってる人だったと思います。それが上手くハメれなかったりしてからさらにもう一言発動するという「二段構え」になってる事が多かった記憶です。
逆を言えば自己提示の仕方が「内面を想像させる」事によって形成されてたとも言えるから見てる側も外側からの言及しか出来ない事を自覚しにくい性質も持っている面白さだとも思う。お笑いの中でも「話術」って実態の無さレベルが高いと思うので。この呟きも外側からの言及のひとつでしかありません。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月18日
これとかそれがよく表れてると思います。パターンのきっかけは出川さんからだけどキス後の「何つまんねぇ顔してんだよ」ってツッコミは外側からの言及。オチを提示した後に話術で面白くしてる。上島さんのテクニックはむしろこういうところにあったと感じてます。https://t.co/P4dnFaB14P
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月19日
有吉さんは自身のラジオ番組で「出川さんはスタントマンのリアクション、上島さんはコメディアンのリアクション」と言っていました。ここら辺に両者の違いはあって、さらに上島さんはコメディアンの中でも喜劇役者とかより落語家や漫談家や寄席芸人っぽい雰囲気も持ち合わせていたと個人的には感じます。
ここ最近ずっと上島竜兵さんについて考えてしまいます。というか上島さんの「芸」について考えてしまいます。僕は上島さんを「話術」の人だと認識していてそれをどう「リアクション芸」的なものに落とし込んでいたのかと考えてしまいます。個人の勝手な捉え方ですが。鶴瓶さんと似てると思う。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
笑福亭鶴瓶との類似点
なんか鶴瓶さんとか伊集院光さんとかって論理的な思考によって振る舞いや他者とのコミュニケーション環境を設定していってる匙加減みたいなのを凄い感じるんです。そしてそれを「喋り」に乗せてる。落語家さんだからそうだと思うのですが。で、上島さんはそれを「演技」でやってるって感じ。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
厳密に言うと「バラエティ番組で繰り広げられるトークの中でのいじられキャラとしての自分」という演技。これに「話術」的な論理性を覚える。ただいじられて反応してるって感じじゃない。そこに「展開」とか「構成」がある。さらに「言語」をオチとしてる割合が高い。演技の幅と奥行きが管理されてる。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
「いじられ話法」ってのがあると思うんですね。
これとか。同じようないじられリアクション芸人でも出川哲朗や狩野英孝はこうはならない。ハライチ澤部とかがやる聴き心地の良さとかでも無い。即興で「展開」を積み重ねてるグルーヴ感。伊集院光の深夜の馬鹿力でのトークや鶴瓶のスジナシとかで感じれる面白さに近い。https://t.co/ATxpxL5b17
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
出川さんは上記した通り噛んだり間違えたり慌てたり上手く出来なくて照れたりする事を周囲が「天然」扱いしてオチるわけですが、狩野英孝さんの場合はもう少し「天然と計算の半々くらい」で顔とか所作だけキマってるって感じ。これは山崎邦正とか安田大サーカスのクロちゃんとかに近いと思います。よく見るとナイナイ岡村さんとかもいじられた時はそんな感じ。テレビ番組の中でのキャラクターの立ち振舞いに終始するイメージ。タレント性とも呼べる。それらと比べると上島さんや鶴瓶さんはもっと「裏笑い」のリアクションをしてますよね。泣きそうになったりちょっと本気でキレたり、テレビタレントの規定範囲から少しはみ出てる。
ちなみにハライチ澤部さんはそれらを踏まえた上で「間を埋める」ってことに出力してどの役割も全方位的にやってるって感じだと思います。これはバナナマン日村さんとかハリセンボン春菜さんとか関東コント師に多いタイプだと思う。
これも。このセッティングで成立させれるのは上島さんが「喋れる」からだと思います。脱力タイムズにツッコミ芸人さんが呼ばれるのとは訳が違う。言ってしまえば「内輪」とか「座敷」的な領域に誘い込むタイプの笑い。だから有吉さんと相性が良かったんだと思います。https://t.co/5Y8qKTdkPF
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
この役割って企画意図を汲み取ってどれくらいはみ出ないかの匙加減がけっこう難しいと思うんです。芸人さんのタイプによってどれくらい「言及」するのかが変わるから。上島さんと有吉さんは演じてるコントの「範囲」が同じくらいなんです。ストレッチーズ福島さんに注意を促すとことか、インスタントジョンソンすぎさんへの詰め方とか、よく見ると上島さんは「いじられてるフォームでいじってる視点」もある。
これは脱力タイムズのような全部完璧にコントとして進んでゆく構造だと成立しないやり取りだと思います。あれはいじられの演じきりだから出川哲朗とかの方が向いてる設計。
東野さんとのトークもかなり領域的に近いですよね。竜兵会を中心とした上島さんのポンコツ感ってご年齢による影響とかもあったのでしょうが、こうして対峙する相手の世代が近くなってくると「トークが下手」ってパッケージングじゃなくなってくる感触があります。https://t.co/mZQ6siKzSz
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
いじられる側としての東野幸治
東野さんも若手の頃のいじられ芸って上島さんと近い返し方をしていた記憶があります。内輪に持ってく加減が絶妙です。表情とか間合いとかの身体性ももちろん面白さに関係あるけど、それよりも流れの「何手か先」を考えて組み立ててる感があって構図に乗っ取ったまま喋ってる。https://t.co/bEOhA7DbXB
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
ドランクドラゴン鈴木さんとかも近いものを感じる。あとさらに何周かしてるとも思うけどアルコ&ピース平子さんも。「いじられ話法」自体がバラエティ番組に出た時の話術という芸の応用だから、そのテイストのまま「いじり話法」に変換出来てしまえる。東野幸治は「ひどい事をされても淡々としてる」的ないじられ方のままそれを「人が遠慮するような事をズケズケ言う」といういじり方にまで持ってゆけてる。
僕は「話術」ってこういう論理的な思考を含めたものだと感じてるんです。鶴瓶さんも伊集院光さんも上島さんも有吉さんも東野さんも設定された構図から出ないしその中で展開させて構成してゆく。それが責めか受け身かの差はあるのですが。なので例えば紳助さんの喋りは「話術」って感じないんです。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
紳助さんはエピソードトークの羅列によって画面の中に配置されてる出演者の関係性を強調し全体認識を構築してゆくみたいな代物。「メディア術」的な感じ。なので喋りじゃなくても良くて相手の反応も形式が決められてる感がある。ノブコブ吉村さんサバンナ高橋さんヒカルさんとかと近い芸だと思う。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
いじられる側として上記した人だと狩野英孝や山崎邦正、クロちゃん、岡村さんとかが紳助さんと近い領域。
さらに棲み分けると明石家さんまさんとかも「話術」って感じじゃない。あれはやっぱり「演技」だと思う。「喋り手」の演技をずっとしてる。ヒカキンとかと一緒。キャラ芸。そのキャラが言いそうな事をずっと言うって芸。なのでそれは構成とか展開って感じじゃないんです。
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
さんまさんは出川さんと一緒の演じきり。もうほとんど「いじられ芸」はしないけど昔の27時間テレビのビートたけしに車ぶっ壊されるやつとかはリアクション芸の演じきりですよね。
こうして見比べてくと上島さんってキャラ芸とかメディア芸みたいなものの外側に軸足があって、なのに「THE人間味芸人」っていう佇まいをしているのが興味深いです。コントロール範囲が印象よりずっと狭い地点に向けられて披露されてる。ジモンさんへのキレ方とか内輪狙い。https://t.co/UWNIZTW8AX
— 視力 (@shi_ryoku) 2022年5月21日
ジモンさんへのこのツッコミは典型的な「いじられてるフォームでいじってる視点」ですよね。さらに言えばジモンさんの振る舞いもそれを誘発させることを見込んでもいると思う。
肥後とジモンの話術
もう少し他のメンバーも掘り下げると肥後さんの話し方もあの沖縄訛りの雰囲気に誤魔化されてるところがありますが骨組みがしっかりしてると思う。この動画のおぎやはぎと比較するとわかりやすいと思うんですが緩い空気感を醸し出しつつもオチがちゃんとある。
肥後さんも上島さん的な「いじられてるフォームでいじってる」骨組みをしているのですがキャラクター的にそれを強く打ち出してないしトリオ内での役割として上島さんをリアクションさせる側なのでこういう仕上がりになってるんだと思います。引き立て役。肥後さんの特筆すべきは竜兵会の中に入ってもあの感じで居続けられてる所だと思います。上島さんを引き立てつつ後輩にはいじられてる。
あと竜兵会で言えば土田晃之さんの存在がかなり重要で、なんならバラエティ番組に出てる時の中心点は土田さんなんだと感じます。土田さんだけ「裏笑い」になってない。むしろ土田さんは一人だけ明石家さんま的な「キャラ芸」をしてる。
ちょっとややこしいんですが、土田さんは「上島さんはトークが下手」といういじりをしてるけどそのパターン自体が土田さんの演じきりになってて最終的に上島さんが「何を言って締めるか」がオチになるようにパスをしてる。なので実はトークという言葉を話術に置き換えるとむしろパターン芸になってるのは土田さんの方で上島さんの喋りに体重が掛かってるやり方だと思います。宮迫さんも司会で誰かをいじる時これ。竜兵会のオールナイトニッポンでも「指」の返しを裏笑い的に繰り返す上島さんに土田さんがパターンツッコミをしている形状。「トークが下手」いじり自体は世代によって話し運びの形態が大きく変わるから生じる感覚なのだと思います。YouTuberの喋りに慣れてる視聴者は土田さんの得意とするような「すべらない話」の長さをトークが下手だと感じると思います。
なのでバラエティ番組に出た時の竜兵会は土田さんをセーフティネットとしてその上で有吉さんを主力とした掛け合いを上島さんに皆でパスを出して決めさせるフォーメーションが多く見られました。
そしてジモンさんですが、ジモンさんは3人の中で一番「間を埋める」意識が強いと思います。先程上げたハライチ澤部とかバナナマン日村のような音楽的な喋りにあともう少しで到達しそう。バカリズムの早口喋りみたいなものに近い。ただダチョウ倶楽部の中に属してるから形状としては構成や展開、裏笑い的なエッセンスの方が多く含まれててオチ的なものや持ってゆきたい方向性は用意されてるのを感じる。
実際ジモンさんのトリオ内での役割ってけっこう難しいところだとも感じます。他のメンバーがいじられや小ボケを担ってしまってて通常のトリオならジモンさんのポジションに当たる役割が空洞化してると思います。ネプチューンで言えば泰三さんや東京03で言えば豊本さんの仕事を上島さんや肥後さんがやってる。これはダチョウ倶楽部が裏笑いをメインとしてるため形式的な大ボケを作る必要があまり無くなっていったからだと思います。故ナンシー関さんは「ダチョウという集合体がボケとなってる」と言い表しました。そしてその反動で空洞化しているポジションのジモンさんが存在として大ボケ化していったのだと感じます。
ジモンさんの喋りはそれ単体で見ると一番「一人喋り」として完成してるとも言えます。ただバラエティ番組の中での「絡み」となるとそれが重たくなってるしトリオ芸の中でもクドくなってる瞬間があります。しかしそれによってダチョウ倶楽部のハプニング感みたいなものは保たれてるとも感じます。そしてそれに関してはジモンさんは意識しているとも思います。そういう意味では有吉さんの上島さんに対する雑いじりみたいな手法でもあると思う。ダチョウ倶楽部内ではそのきっかけ的なもののみジモンさんが取り扱ってる領域はあったと感じます。
話がいろいろ散らかりましたが、上島竜兵さんにはそういった芸を感じていました。トリオ芸で、リアクション芸で、「話術」というものを駆使していた上島竜兵という芸人さんはとてもテクニカルで面白かったなぁと思っています。