「さや香」M-1 2022
さや香の決勝の漫才って、
題材が下ネタだったから、ちょっと引いちゃったんじゃないかという感触がありますが、たしか2003年のフットボールアワーって「SMタクシー」ってネタで優勝してたと思う。思いっきり真正面から下ネタ。
「題材」のポップ化
時代性の変化や、ルッキズム的な観点や、ネタとしての構造など、理由はいろいろあるとは思いますがそれだけじゃない気がします。
ああいうテンポで見せるような漫才師のタイプだと題材がポップになり過ぎるんだと感じる。さや香のあのネタって、オズワルドや男性ブランコがやる方がしっくりくると思う。
朧気な記憶なんですが、オンエアバトルの第2回チャンピオン大会で品川庄司が漫才を恋愛に置き換えて構造ごとコントにしてゆく、みたいな手法のネタをやってた気がするんですが、それを見た時と近い感覚を覚えました。
なんか銀シャリも演芸大賞か何かで似たようなタイプのネタをやってた気がします。
上手く言葉に出来てはないのですが、ああいう「設定に対しての人物の配置で面白さを構築してゆく」タイプの脚本って、規定演技が上手すぎるとちょっとノイズになっちゃうのかも。
どっちに没入すればいいのか一瞬わかんなくなると言いますか。
モヒカンは坊主か?
キャラ漫才はしゃべくりか?
凄く失礼を承知で例えてみると、
「宝塚歌劇団」に興味が無いと
「男装してる女性の謎の生命力」にばっかり目がいっちゃう。
「プロレス」に興味が無いと
「飛び散る飛沫や異様な熱気」とかばっかり気になっちゃう。
なんかそんな感じ。漫才師として上手すぎて、題材の印象が浮き彫られちゃってる。
なので、その演技上の世界観に「ついて行け」たら、「下ネタ」がそこまで気にならない(というか、その若干の違和をフックに引き込んで関係性変化を物語化してるロジック)と思うんだけど、それについて行けなかった場合は「下ネタ」である事や「高齢の親」「佐賀県dis」等の突起物の印象が残っちゃう。
これってトレンド的にちょっと前までは「キャラ」でやってたと思うんです。
「過剰演技をデフォルメ化させたキャラクター」の若干の違和をフックに基本的にその連打で引っ張ってくお約束的手法。
一度設定したキャラ軸が立ち位置も含めて、ひっくり返らない。
「題材」よりも「キャラ」が印象に残る。ただ、その「キャラ」が構造にまで食い込んでいるから、そのキャラについて行けなかった場合は「演じてる事そのもの」が突起物として大きめの違和になっちゃう。
上記したような宝塚やプロレスに興味ない人状態。つまりハマれない。さや香はそれを避けてたと感じました。
ブラマヨ返納
で、その回答のひとつとして、
「ブラマヨ的な展開の模倣」だったんだと思います。
実際問題、やってる事はブラマヨのそれと組み立て方が、たぶん真逆だと感じます。
ブラマヨは喧嘩調のフリートークから積み上げて「漫才の型」に近付けてる。なのでむしろオズワルドとかウエストランドの方が近いと思う。
ってのは
「ジャンポケ太田さんが東京03に影響を受けて、そういうネタを作ってる」感があります。