「ロングコートダディ」M-1 2022
「漫才かコント論争」に置いて舞台をどう使うかが主に論じられてますが、
「漫才の中のコント」というものの機能面から考えると、そこには「短縮」という要素があると思います。
マラソン、タイムマシーンで「時間」短縮をしてたし、
音譜運びで「物質」を短縮してた。
「てい」
落語に置ける
「扇子で蕎麦をすする」「左右に顔を動かして2人で会話してるように見せる」みたいな「てい」。
それは、言語の延長線上で演技のみの領域に突入させてるから「漫才コント」なる言い回しで理解され認知されてると思うのですが、逆だと思う。
「言語」がそもそも「短縮」機能を持ってる。
「言語」自体が「意味の置き換え」によって成立していると思います。
「2」という文字は2文字じゃない。
これ1文字で「2」という意味に置き換えてる。
「言語」自体に意味は無く、対象の意味を抽出して言語に置き換えてるわけです。
なので、我々は常に「言葉が通じあってると思い込んでいる者同士のコミュニケーション」を演じてるに過ぎない。
その社会生活の中でショーとして披露される「漫才」なる代物はすべからく「コント」なんです。
「社会生活」というコントの中で、芸人さんが「漫才」を演じているという入れ子構造になってる。
そういう風に捉えると、
「漫才の中で行われるコント」というものは、
むしろ
「漫才というコントを演じるのを止めて、人前でシンプルに何かを演じてる」という
原始衝動的な領域にも感じます。音楽的なもの。
「短縮」「誇張」のレベル高ぁ
センターマイクから離れるか否か、目線や所作が漫才師のそれか、という観点自体が演技指導目線になってて、言うなればむしろ「コント師」的。もっと言えば「役者」的。演技というものの特性は「誇張」「増幅」「擬態」という側面を持つから「短縮」とは反対の性質があると思います。
そういう意味ではむしろ、
さや香の方が「演技」が上手いんだと思います。
「漫才」の上手さがそれを指すのなら
「漫才師というコント」の演技が洗練されてる。
ただ漫才というものを「言語の掛け合い」と定義するならば、その中で行われるコントの方が「短縮」という本質的な意味を持ってると感じます。
クレイジーキャッツのこれとか。
演奏の途中にコントが入ってくる。
このお葬式のやつはまさしく短縮が面白味。
「漫才の中で行われるコント」ってたぶんこういう発祥で本来はこれだったんだと思う。
「漫才が上手い」って評価は、
これに「演奏が上手い」と評してるような状態。
ショートコントダディ
ちなみに、これがコントとなると「反復」という「短縮」とは真逆の部分が面白味になってるくる傾向があるのが、ロングコートダディの興味深いところです。
KOC2022でのネタだと
むしろ「同じことを繰り返して顔芸」という点で面白さを提示していました。
この時、ニッポンの社長も似たタイプのネタを行っていたのですが、けっこう明暗が別れるような評価だった記憶があります。
ニッポンの社長は、暗転問題やエヴァのパロディの世代的認知差もあると思うのですが、構築方法がファンタジー寄りで、その点で無意識的にリアリティ寄りのロングコートダディと比較されたのではと感じました。「反復」を題材するコントとしての評価に影響が生じるポイントだったのかも。
「料理番組のオープニングの盛り上げ方」や「あの時代の深夜アニメの独白のカット」とかを面白がる感覚自体は出発点が近いと感じます。
「演出」そのものをトレースして「いじる」ってお笑い。
その違和を増幅させるために「繰り返して顔芸」なんだけど、それを提示する役がツッコミ側が行ってるか否か。
ニッポンの社長はケツさんがその世界観に振り回され結果「顔芸」を繰り返してる。
ロングコートダディは兎さんが堂前さんを振り回す手段として「顔芸」を繰り返してる。
ここが大きく違うと思います。そしてコントというものの現段階での評価軸は兎さん的なキャラ造形を施すリアリティ寄りなのかも。
ニッポンの社長のコントは、実際にアニメにしても面白いと思う。
なるべくエヴァの絵柄に近付ければ近付ける程、その面白さが増すと感じます。そういう意味では、脳内補正があった方が良いと思うから世代間把握差は実際に評価に影響が生じてたと思います。(そこが核心部分ではないと思うけど)
ロングコートダディは絵面は必要だけど間合いの面白さでもある。
なのでアニメにするなら
ニッポンの社長は「ポプテピピック」のパロディの仕方(終盤の崩しはAC部みたいなノリ)
ロングコートダディは「GOLDEN EGGS」とか「Peeping Life」みたいなラジオコントに映像足してるやり方
みたいな面白さだったと思いました。
リアリティ寄りの世界観の中で
「反復」性の高い面白味を提示している、
そのコント自体を「短縮」し
漫才に施しているという状態が
ロングコートダディの優しさと強引さが混ざったような魅力だと感じます。