「カベポスター」M-1 2022
カベポスターも真空ジェシカも、
ボケの羅列で全体構成もしている漫才
だと思うのですが、
前者は
「設定の中で回答を繋いで物語化」
しているのに対して、
後者は
「聞き間違い大喜利から導入し、オチの展開でちゃぶ台返ししたり、と物語そのものを大喜利化」
していると思いました。
大喜利と物語の関係性
カベポスター
「大喜利の物語化」
「物語の大喜利化」
そして、その2組が連続してる事自体が物語的。
「羅列ボケ系漫才」の羅列で
「ネタ順に左右されるM-1という舞台」の物語
になってる。
カベポスターの、
設定からは出ない丁寧な積み上げによって造り上げられた世界観を
真空ジェシカが、
同じ手法だけど真逆の積み上げによって物語化の価値をブッ壊しちゃってる。
ネタ順で批評性が発生し意味解体のダイナミズムが産まれていたと感じます。
オオギリーガーとしての実験器具
ただ、その力学の衝撃が大きく感じる程、カベポスターの積み上げのレベルが高かったという事も証明されていると感じます。
カベポスターは、回答自体はベーシックだと個人的には感じるのですが、それを並べて物語化し、その物語のオチの部分で次の展開の出題に繋げてそれを繰り返す事で、耐久性のあるシステムを作っているので、大喜利が好きすぎて開発者側に回ってしまってる縛りプレイ変態みがある思います。
「大喜利漫才」というより
「大喜利を漫才に施してる」という感触。
永見さんのボケ方ってあんまり掛け合い的じゃなくて、むしろフリ部分の方が説明的です。
一人で出題して一人で回答してる。
それに対して浜田さんはしっかり漫才のツッコミをしています。なんというか、大喜利である事をバレないようにしてるとも感じ取れます。
漫才のフリをしている。
漫才のフリが上手い大喜利の羅列なのかも。
ビッグバン
「大喜利の回答で世界を作ってる」けど
カベポスターは
「大喜利の問題で世界を作ってる」。
創造主側の立場。
そういう意味でもトップバッターに相応しかったのかもしれません。