「ダイヤモンド」M-1 2022

 

ダイヤモンドがM-1でやってた「レトロニム」漫才。

 

 

言葉遊び的な面白さを感知してる人と、「~もね!」「~もねって辞めてよ!」で感知してる人とで、綺麗に別れてる気がします。

 

 

 

~もね先行型

自分はどちらかと言えば後者で感知してるタイプで、野澤さんの もちゃっ とした喋りで語尾強めに発してく事の理不尽な感じと、小野さんのなぜか乙女っぽい拒否反応のリアクションが、ワケわからんくて面白かったです。

 

なので正直、ワードを脳内変換してツッコミで納得するの初見じゃ追い付かなかった。

 

でも、それは完璧に理解出来なかったわけでもなく、なんというか 残骸的にその面白さが瞬間瞬間でちょっとだけ「わかる」という感じ。

 

割合としては「~もね!」のイントネーションが75%で、「不自然ローソン」とかの言葉遊び部分が25%ぐらい。とにかく「~もね!」が面白かった。「~もね!」漫才。

 

 

「もね」と「経て」

あと、ごっつのこのコントを思い出しました。これも「~経てェ」の面白さが75%くらいだと感じます。

 

コントだし、言語解体とルール構築自体がかなり密接になってるという違いはあるけど。

 

 

言い方で全体を包んでる面白さと言いますか、たぶんだけど意味を考えて作ってない気がするんです。

イントネーションだけで引っ張って、息継ぎとして言葉遊びを入れ込んでるって感じ。ただその感知に関しては右左脳的な個人差によってバラつきがあって、どうハマるかがズレるんじゃないかなと思います。

 

この言い方芸の構築方法で、言語解体を突き詰めてくとキュウみたいになるし、イントネーションによるグルーヴの追及を絵作り込みで行ってくとヨネダ2000みたいになってくんじゃないでしょうか。

 

 

 

そういう点ではダイヤモンドは、ごっつの「経て」的なバランスのまま今の漫才文脈にちゃんと乗せてると感じます。

 

 

 

お笑いが流行ったから

そして別の観点だと、あの結果は、観衆の意識がイントネーションの面白さよりも言葉遊びの方に比重があるからな気がしてて、お笑いのルール把握が進んだため言葉遊びみたいなテキスト上で理解出来るもののリテラシーが上がってしまっているのかもしれないと感じました。

 

「意味」でお笑い見ちゃってるのかもしれません。